ヴァン・グランツには、歳の離れた2人の妹がいる。 9つ下の長女のに、更に11下の次女に当たるティアだ。 両親のいない兄妹にとってヴァンは兄であると同時に親代わりでもあり、深い愛情抱いていた。 総長という職に就いてからは多忙を極め家にも帰れない日々が続いても、妹達の愛情は何一つ変わらない。 しかし3人の、いや、とヴァンの関係に変化がもたらされたのは、そう遠くない話であった。 ヴァンが王宮の近衛騎士団総長の座に上り詰めてから幾らも経たず、2人の妹が軍職に就いた。 正確に言うと正規の軍人になったのはティアだけで、は軍属の補佐として軍に身を置いているだけだ。 しかしライマ国軍大佐として、またナタリアの家庭教師としても名高いジェイド・カーティスの補佐についたは、十分立派な軍人とも言える。 2人の妹は、育ててくれた兄に恩返しをすべく、年若くも軍人として志願したのであった。 けれども兄はあまり嬉しそうな顔をしなかった。そう、が軍に志願したと聞いた、その時だけ。 「・・・・・・・、それで兄さんの事なんだけれど・・・・・?」 「え?」 「もう、ちゃんと聞いてるの?」 「ごめんなさい、ちょっと考え事をしてて・・・・それでティア、お話って?」 向かい合って座るティアが困ったように溜息をつく。 そんな表情が酷く兄に似ているなとぼんやり考えていると、ティアが静かに口を開いた。 「大佐からの要請で、暫くライマを離れる事になったの。といっても相変わらずルークのお守なのだけれど。 兄さんにはもう伝えておいたのだけれど、何でも私がいない時にちょうど兄さんが家に帰ってくるらしいわ。 には申し訳ないけれど、暫く家の事を頼んでもいいかしら?」 「ジェイドから・・・・・?構いませんよ、後の事は任してティアはしっかりルーク様と仲良くなってきて!」 「ち、違うわ、別にルークとはそういう関係じゃ・・・!」 「うふふ、そうでしたね、ふふふ」 真っ赤な顔で俯くティアが可愛らしくてつい微笑む。可愛らしい2人だ。 身分差・・・・・どころか、ルークにはナタリア王女という婚約者までいるのだが、ティアには是非頑張ってほしいと思うのは姉の欲目か。 家の事を全て任せて出掛けることを心底気にしたようにしつつも、ティアは出発の支度の為早々に席を立った。 明日の早朝には出掛けてしまうらしい。なんとも忙しない話だ。 「ジェイドも、ティアをこき使わずに自分で仕事をしに行けばいいのに・・・・・ あたしにばっかり嫌がらせを仕掛ける暇があるのなら、なおさら!」 「大佐もの事は信頼してるのよ。それに、大佐の部下として、彼の手足になるのは仕方のないことだわ」 「あたしは変わらずデスクワークなのに・・・・」 「ふふ、でもそれがの仕事だもの。頑張って」 小さく笑みをこぼすとティアは自室へと姿を消してしまう。 食卓に独り残されたは、すっかり冷めきった紅茶へと視線を落とした。 「・・・・・・・きっと、ヴァンお兄ちゃんは・・・・・あたしがいなくなれば良かったんだって、思うよね」 最近は顔を合わせる回数も減ってしまった最愛の兄の事を思って、嬉しいような悲しいような、複雑な思いのまま、もまた席を立つのだった。 * * あんなにも仲の良かった兄妹が可笑しくなったのは、いや、自分と兄の関係が可笑しくなったのは何時の事だったか。 もう随分前の事で記憶があやふやだ。でも確かに、明確に"変化"を目の当たりにしたのは、軍属になったのだと報告した日だろう。 あの日、自分が彼にとって大切な妹ではないのだと、知ったのだ。 ティアが軍人になったのだと報告した時、彼は心底驚き、そして嬉しそうに笑った。 そして続いて自分が報告した時、兄は・・・・・・険しい表情で、一言告げた。 "辞めろ"と。何一つ、喜んではくれなかった。 初めてした兄との喧嘩は、"軍の補佐"であり戦場に出ないという条件を呑むことで解決したが、間違いなくの心に傷をつけることになる。 最愛の兄の否定は、には、堪えがたかったから。 「それで、その見ているだけで空気が悪くなるような顔はどうしたわけです。 全く仕事にならなくなるのでやめていただけませんかね」 「・・・・・・・うるさいわね」 「おやおや、上司に向かってその口の利き方。相変わらずですね」 今晩の事を考えて気落ちするに、相変わらず茶々を入れる上司ことジェイドに、これまた不機嫌な面持ちで返事する。 「ジェイドのせいで今日からティアがいないの!だから、あたしの頭は家の事で一杯なの放っておいて」 「貴方は私の補佐なのですから、そんなことに気を散らしていないでキリキリ働いてください。 ほらほら書類の山が全然減っていませんよ?口よりも手を動かして下さいね」 「どんどん追加するからでしょ!もうっ」 ドスン、と音がするような量を目の前に置かれて泣きそうになる。 これはもしや今日は家に帰さないつもりか?それは困る。だって今日は、 「・・・・・・・久しぶりに、ヴァンお兄ちゃんが帰ってくるんだもん・・・・・・」 想像以上に暗く、重たい声色が零れてしまい、本人は勿論傍のジェイドすら一瞬驚いたように瞠目する。 「ヴァン・グランツが?ここ最近は激務だと専らの噂でしたが、ようやく落ち着いたんですか」 「・・・・・詳しい事はよく知らないけど、定時には終われるような状態になったんだって。 だから今日からはヴァンお兄ちゃんがいるし・・・・ティアはいないし、大変なの」 「・・・・・・お兄さんの帰宅、ねぇ」 もう最近、いや、ずっと直接連絡を取っていない。ティアから間接的に事情を聞かされたり、手紙で近状を報告したり。 単にお互いが忙しすぎて時間の都合がとれないだけかもしれない。元よりあまり家には居着いた記憶もない。 けれど、はやはり避けられてるような気がしてならなかった。 「そういうことだから、今日は絶対残業もお泊まりもしないからね!」 「おや、この量の書類を全て捌くと仰るのなら構いませんが?」 「っこれ全然急ぎの書類じゃないでしょ!何でもかんでも今日中に終わらせようとしないでよ、帰れないじゃない!」 「・・・・・・・・帰らなければいいじゃないですか」 ジェイドの呟きはよく聞き取れなくて、でも聞き返したら答えてはくれない。 そんなことよりも、彼をどんな顔で出迎えたらいいのか、には未だ判断がつかずにいたのだった。
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