その日帝都ザーフィアスの下町で、魔導器の核が姿を消したのだと知らされたのは、陽の落ちかけた夕刻の事であった。
■ 始まりの鐘は唐突に響く
コンコン、と小さな音が日の沈んだ黄昏時の下町で、静かに響く。
もはや日課となっていた幼馴染の下宿先の扉を叩いても、無反応。
片手に今晩の食事の材料を手にしていたは扉の前で小首を傾げると、再び目的の人物を呼び出すべく声を上げた。
今度は先程より、声量を上げて。
「ユーリ、ラピードー!いないの?今日はマーボーカレーだよ」
やはり反応はなく、部屋の住人が留守であることが証明されると、は困ったように溜息をつく。
「この時間に部屋にいないってことは、もしかして・・・・・・・・・また、騎士団の人のお世話になってるのかも。
だとすると、いつ戻ってくるのかわからないなぁ。前回は10日近く姿を消してたものね」
問題児である幼馴染の不敵な笑みを思い浮かべ、苦笑を漏らす。
どうせ彼のことだから、何事もなかったかのような顔でひょっこり姿を見せるだろうし、心配する必要はないだろうが。
もう一人の金髪の幼馴染の怒った顔と、聞き流す黒髪の幼馴染のやり取りが容易に想像出来て、小さく笑った。
「あれ、・・・・・・?こんな所に突っ立って、どうしたんだよ」
「テッド、丁度良かった!ね、ユーリを知らない?夕飯の材料を買ってきたのだけど、留守みたいなの。
部屋の中は無人みたいで返事もないし。ラピードの姿も見てないの」
目の前の扉を指差すに、「ああ」とテッドは理解したように頷いた。
「そういえば、今日は町にいなかったんだよな。
実は昼間下町の水道魔導器が、修理してもらったのにまたすぐ壊れちゃったんだ。
ユーリが核がどうのって言ってたって、ハンクスじいさんが言ってたし、また騎士団の所に行ったんじゃないかな」
「そんなことがあったの・・・・・・・・・。
ユーリの方はなんとなく想像出来てたのだからわかるのだけど、その騒ぎに、フレンは来なかったの?」
「フレンの所にはすぐ行ったよ!でも、会わせてくれなかったんだ・・・・・・」
「フレンが会わせてくれなかった?」
頬を膨らまして不貞腐れるテッドを見て、ふと、フレンの顔が浮かぶ。
(・・・・・・そういえば、暫くザーフィアスから離れるから会えないって、言ってたかな?)
騎士団の小隊長となって多忙を極めているにも関わらず、律儀にそんなことを報告してくれた彼は、本当に真面目だ。
フレンの律儀さを、少しはユーリも見習って欲しいな、なんて思う。
彼にそんなことを望むことが、そもそも間違いかもしれないが。
「じゃあどの道今日はユーリには会えそうにないね。
また明日様子を見に来るから、ユーリを見かけたら私が来たよって伝えておいてくれる?」
「うん、わかった。それにしてもを放っておくなんて、ユーリも酷いよな。
、ユーリに飽きたらすぐにフレンの所にいきなよ」
「飽きたら、って・・・・・・?」
「は優しいもんな。ユーリには勿体無いって、ハンクスじいさんも言ってたよ」
話の流れが汲み取れないを取り残し、テッドはさっさと階段を下りていってしまう。
手にした材料が、ずしり、と一層重くなったように感じられて、恨みがましく小さくぼやいてやった。
「帰ってきたら、拗ねてやるんだから。ユーリ」
"心配をかけさせないで"と言えば、きっと、彼は笑って頭を撫でてくれるのだろうと思って、微笑んだ。
* *
今までと同様に、ひょっこりと姿を現せるであろうと気楽に身構えている時に限って、面倒ごとはよく起こる。
それを身にしみて実感させられる日になることを、翌日のは知りもしなかった。
「おはようございます、女将さん。
あれからユーリの姿を見かけませんでしたか?昨日、テッドにも頼んでおいたんですけれど」
ユーリがお世話になってる下宿先のお店のほうに顔を出すと、準備をしていた女将さんが手を止め、笑いかけてくる。
「おやちゃん、おはようさん。あいつならついさっき戻ってきたばっかりだよ」
「本当ですか?今回は随分早かったなぁ・・・・・・。今、どこにいるかご存知です?」
「多分広場の方じゃないかね」
「ありがとうございます。ちょっと、行って来ますね」
踵を返し出口へ向かおうとした時、女将さんの制止の声がかかる。
「あ、ちょいとお待ち、ちゃん!」
「はい?」
「・・・・・・あたしがいちいち口出すのもなんだけどね、愛想尽かしたらすぐフレンの所にいきなよ」
(また、フレン?)
「あの女将さん、一体何の話ですか・・・・・・?」
「いいかいちゃん、例えどんなに赦せない事であっても、寛大な心で対処するんだ。
その後あいつをちゃんが殴ろうが、打とうが、蹴ろうが、足蹴にしようがあたしらは一向に構わないからね」
「え、え?」
「男なんてもんは困った生き物なんだよ」
はぁ、と重い溜息と共に哀れんだような目を向けられるものの、一向にその意味が理解できない。
ただ女将さんが言ってる"あいつ"がユーリのことで、自分を心配しての助言であるということは察しがつく。
ので、ここは素直に礼を述べた。
「よくわかりませんが、とにかくユーリに会ってきますね。ありがとうございます」
「いっといで」
小さく頭を下げてから退出したの後姿を見つめながら、そっと、女将さんが呟く。
「・・・・・・・・・突然姿を消したと思ったら、翌日に見知らぬ女連れ、しかも朝に帰ってきたとあっちゃねぇ。
あいつがちゃんにベタ惚れなのは知ってるからいいが、ちゃん、傷つかないかねぇ」
恋人だもんね、と付け足した。
は知らない、下町どころか市民街の住人まで、とユーリが結婚を前提とした交際をしていると思っているなんて。
そして彼らも知らなかった。それは勝手な思い込みで、事実はユーリのただの片思いであることを。
彼らの思い込みを良いように利用しているユーリのことすら気付いていないは、のほほんと足を進めていた。
「・・・・・・えーっと、広場の方・・・・・あ、ユーリ!」
「んぁ?・・・・って、、良い所に!」
「・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
広場に見覚えのある黒髪を見つけて声をかけた刹那、がしりと、力強い腕に有無を言わさずに掴まれた。
不思議そうに目の前の幼馴染を見上げれば、彼はニッと癖のある笑みを浮かべた。
長い付き合いだから知っている。この笑顔は、ろくでもないことに首を突っ込まされる時の、彼特有の笑みだ。
一瞬冷や汗が流れたと感じた時、は彼の後ろに見知らぬ桃色の髪の少女がいることに気付いた。
「ユーリ・ローウェールーーーー!」
「やべ、もう見つかりやがった。行くぞ!」
「え、ちょ、何の話・・・・・?というかユーリ、その後ろの女の子は」
「今は時間がねぇ、後で全部説明してやっから」
そのまま腕を引っ張られて一気に下町を駆け抜けさせられる。
背後から追いかけてくる騎士団の人、申し訳なさそうに謝る桃色の髪の少女、そして、一斉に押し寄せてきた下町の住人。
わけもわからず無理矢理に、極めて強引に、はユーリによって帝都ザーフィアスから連れ出されたのであった。
(もうユーリったら・・・・・・いっつも強引に人を連れまわすんだもの)
(そんなの今に始まったことじゃねぇだろ?それに、だ)
(・・・・・・?)
(旅に出るんだ、大事な忘れ物、出来ねぇからな)
帝都ザーフィアスにて。本編沿いで、始まり。
2009/11/18